廃れ酒:代々木という街
代々木会館の跡地を見ながら飲むために代々木に来たはずだったのだが、「代々木という街自体が廃れてしまったなあ」とふと思ったのだ。
代々木駅前から代々木ゼミナールの本部校がなくなってしまったのがそう感じさせるのだと思う。
代々木の駅前からごっそりと浪人生たちがいなくなってしまったのだろう。
昔は飲食店も多く、浪人生で繁盛していたのに。
代々木ゼミナール(よよぎゼミナール)は、東京都渋谷区代々木を本拠として全国に直営校8校舎(うち美術専門校1校舎)を持ち、全国に約580校の「代ゼミサテライン予備校」を展開する予備校。
経営母体は学校法人高宮学園(SAPIX YOZEMI GROUPの一員)。略称は代ゼミまたは代々木ゼミ。キャッチコピーは「志望校が母校になる。」。
(略)
2008年(平成20年)に本部校(代ゼミタワー)が完成、かつて代々木本校が有していた本部機能は同ビルに移転した。その後、JEC1号館などの旧代々木校校舎の一部は株式会社ティーケーピーが運営する貸会議室に、プラザ館は2010年秋よりY-SAPIX東大館に流用。
(略)
2014年8月23日、少子化の展望や現役志向の高まりに伴う浪人生減少や大学受験の多様化などを背景に、同年8月時点で全国に有する直営校舎のうちの約7割を対象に2015年度以降閉鎖することを明らかにした
(wikipediaより)
とのことである。
代々木駅から見える代々木ゼミナールの建物が、この街の象徴だったように思う。
代々木ゼミナールの建物を一通り見て回った。
現在使用されているのかは分からないが、シャッターが閉まっている。
以前はこちらに校舎につながるアーケードがあり、合格実績が貼り出されていた。
こちらには売店と校舎があった。
新宿のすぐ近くになのに、代々木という街はどこか廃れた街になってしまったような気がする。
代々木の変化に寂しさを感じるとともに、自らが歳を取ったことを思い知らされた。
そんな気持ちを飲酒で紛らわそうと思ったが、あいにくストックはない。
しょんぼりしながら、新宿まで歩いた。
廃れ酒:代々木会館跡地
新宿での飲酒の後、せっかくなので代々木会館の跡地も見ていくことにした。
新宿でお酒を二本購入していたため、準備も万端である。
代々木会館
東京都道414号四谷角筈線とJR東日本代々木駅に挟まれた区画にある、長辺15m、短辺5m、奥行24mの台形状の敷地に建てられた建物である。1945年4月13日のB-29による東京大空襲で代々木駅前は焼け野原となった。第二次世界大戦後の復興で代々木駅前には間口一間半(約2.7m)のバラックが建ち並んだが、1964年東京オリンピック開催に伴い道路拡張が行われる事となり、バラックの移転先として代々木会館が建設され、主な店舗が入居した。
その外観から「代々木の九龍城」「東京の九龍城砦」「魔窟」とも呼ばれており、居酒屋、中国書籍専門店、立ち食い寿司屋などが入居していた。2階に飲食店街が作られたほか、パチンコ店、雀荘、ビリヤード場なども入居し、それらの店舗が退去した後も看板は残されていた。
(略)
代々木駅前の一等地にあり、2000年代初頭から再開発によるビル建て替えの話が持ち上がるが、区分所有が42筆にも及ぶなど権利関係の複雑さから何度も頓挫していた。その権利関係が解消されて地上げが完了し、2019年8月1日から2020年1月30日にかけて解体工事が行われた。(画像含め、wikipediaより)
とのことである。
西新宿五丁目から大江戸線に乗り、代々木駅で下車、交差点方向へと歩いていくと、右手にがらんとした区画が見える。
跡形もなくなってしまっている。後方のドコモタワーが映える。
以前代々木に通っていた時代があったが、当時は代々木会館を気に止めることもなかった。「なんとなく視界に入る古い建物」程度の認識しかなかった。
しかしながら、解体されたとわかると、急に惜しい気持ちになってしまうものである。
そんな気持ちを抱えながら開栓した。
宝焼酎の緑茶割りの硬派な見た目。普通の缶のお茶を飲んでいるようにしか見えないので、こんな人の行き交う中で飲んでも何も恥ずかしくない。ありがとう。
それに、すでに新宿で飲酒しているため、衆人環視のもとで飲酒することへの心理的障壁もだいぶ下がっている。
飲酒が飲酒を呼ぶとはまさにこのこと。酒が進む進む。
さっさと飲み終わり、帰ろうとJRの駅へと向かったところだった。
ふと振り返ると、交差点の向こう側に古びた「代々木ゼミナール」の文字。
この代々木でまだやり残したことがあるような気がする。
私は交差点を渡り、駅と反対方向に歩き始めた。
誰も見ていないと思うが
つづく。
ということで、今回飲んだのは
苦味と渋みを効かせた緑茶の味がしっかりと感じられる味わいが特徴です。(ファミリーマートのホームページより)
とのことである。
廃れ酒:新宿区のホテル跡
廃墟らしい廃墟に行ってみようと思い、新宿区にあるホテルの廃墟に行ってみることにした。
史跡や観光地ではない、紛れもない廃墟である。事前の調査もしっかりと済ませた。
新宿駅で降り、西新宿の方へ向かう。
歩道橋の欄干に上着がかかっている。足元に日商簿記3級の参考書が散乱していた。
夢破れたのだろうか。
まあ飛び降りたわけではなかろう。流石に、いろんな意味で。
目的地は、かつて十二社池と呼ばれた池があった場所だそうである。隣接する十二社大滝とともに江戸の景勝地となっていたが、1968年に埋め立てられ消滅したとのことである(wikipediaより)
近くに着いたので、コンビニで酒を物色する。
そろそろ外で酒を飲むのも慣れてきたので、ゆっくり飲むのもいいだろうと思い、日本酒を購入。
この細い階段を上がる途中に、目的の物件がある。
到着したものの、なんだかとても普通っぽい。
看板が取り外されているのは調査済みであったが、廃墟というわりにはなんか生活感があるし、廃墟紹介サイトの写真にはなかった竹製の囲いのようなものができている。
もしかして人いる?
とりあえず、すみません。と思いながら写真を一枚だけ撮った。
さて、早速飲酒というところだが、前回の上野の比でないほど道幅が狭く、お酒片手に誰かと鉢合わせしたらいよいよ注意されるのではとドキドキである。それに、周囲にここよりもヤバそうな家があり、気が気でない。
開栓
しかもよりによって今回は日本酒だ。正直あまり日本酒が得意ではない。
少なくともゴクゴク行けるものではないだろう。進まないこと必至である。
ゆっくり飲みたいなどと思っていた5分前の自分を呪う。
しかし、神様は見捨てなかった。
一口飲んでから気づく。
「あっ薄い。」
缶の裏を見ると「アルコール度数:7%」
内容量も200mlほどしかないではないか。
ありがとう神様。いただきます。
今まで使う人間を蔑んでいたはずの言葉を自ら心の中で唱える。
「飲みやすい!水みたい!」
新潟の神様に感謝しつつ、さっさと退散した。
と言うわけで今回飲んだのは
吉乃川 酒蔵の淡雪スパークリング
蔵元と造り上げたスパークリング清酒です。
麹本来のやわらかな甘みで、淡雪の様な軽い飲み心地が特徴です。
(ファミリーマートのHPより)
とのことである。
今回は地図はなし。
【私の東京銭湯記001】故郷にメガネは要らぬ
江東区東砂 藤の湯
場所:東京都江東区東砂3-18-17
電話:03-3644-7351
営業時間:15:00~23:00
休業日:6・16・26日(日曜の場合は翌日)
これから不定期に東京都内の銭湯をご紹介していきたい。
私のホーム銭湯。荒川のすぐ近くにある。
最寄りの東大島駅からも徒歩で20分近くかかりますで、近所の人が利用している感じ。
日替わり湯・通常湯・電気風呂・ジェットバス・バイブラバスがある。
通常湯の方は44度ほどとかなり熱め。
日替わり湯は42度ほどのぬるめなのでゆっくり浸かることができる。
番台前の待合は狭めですがテレビあり。
閉店時間に近くなると、番台のおじいさんが「お客さん、時間がないよ。」と教えてくれるので、さっさと入った方がいいでしょう。
シャンプー・リンス備え付け、ドライヤーも無料なので普段使いにとても良い銭湯。
廃れ酒:旧下谷小学校
日曜日のせいかコロナのせいか、東上野はひっそりとしていた。
暇があれば上野で遊び「上野は俺たち街だ」などと言っていた時期もあったが、東上野にくることはほとんどなかったため、その静けさに少し驚いた。
コンビニで酒とおつまみを買う。
今回は小学校に行くので、小学生の頃よく食べていたポークフランクをおつまみとして購入。
当時は、買ったポークフランクを店内でそのまま食べてしまう(もちろん、イートインスペースなどではない)ような尖った子供であった。
パチンコメーカーが立ち並ぶ街を抜け、大通りを渡るとすぐに異質な建物が見えてきた。
旧下谷小学校
昭和3年 北稲荷町に鉄筋コンクリート3階建ての新校舎落成。
昭和16年 東京市下谷桜岡国民学校と改称。
昭和19年 学童疎開を福島県東山温泉と高田町に行う。
昭和20年 戦災にも焼け残る。
昭和22年 台東区立下谷桜岡小学校 →台東区立下谷小学校と改称。
平成2年 閉校式挙行。114年の歴史を閉じる。
(上野小学校ホームページより)
とのことである。
旧下谷小学校は廃校ではあるものの、廃墟ではなく、現在も倉庫や災害時の避難所として使用されている。目の前も普通の駐車場である。
グラウンドにも、巡回パトカーや地震体験車などが駐車されており、人の出入りもある様子。
台東区のホームページにもきちんと旧下谷小学校の活用について情報が掲載されている。
このような、歴史的な建物の保存・活用はとてもいいことのように思う。
都会の小学校らしいグラウンドである。校舎にはツタが絡まっている。
玄関には何やらモダンな装飾がされている。
こちらは体育館だったとのこと。
ひっそりとしているものの、ぱらぱらと人が行き交うため、ここで飲酒するのは相当目立つ。
前々回、前回のように座る場所もなく、ガードレールに腰かけるしかない。
悪いことをしているわけではないが、警察官の出入りもある様子。
少しドキドキしながら開栓。なんと言い表したらいいか、この一本を飲み切ったら自分の中の何かがレベルアップするような気持ちを抱きつつ飲酒。
ポイ捨て禁止の張り紙がやたら貼り付けられていた。
ちょうどコーヒーの缶が落ちていたので、拾ってゴミ箱へ。自分も丸くなったと思いながら、徳を積んだような気分になる。おそらく何かがレベルアップした模様。
ちょうどその時、目の前の駐車していた車の持ち主がタバコをポイ捨てしていた。
同行者も特段それを注意するわけでもない。
こういう人は、どう始末をつけるかを考えないままタバコに火をつけるのだろう。
彼の所業に比べたら、路上で酒を飲むくらい、きちんと始末さえつければ、なんと高尚なことか。
と一瞬思ったのだが、高尚なわけあるか、と思い直してしょんぼり帰宅した。
上野と言うことで下町っぽく
焼酎ハイボール レモン
チューハイは昭和20年代後半の東京下町の大衆酒場で”焼酎ハーボール(酎ハイ)”として生まれたと言われています。タカラ「焼酎ハイボール」は、その元祖チューハイの味わいを追求した、キレ味爽快な辛口チューハイです。(缶の裏より)
とのことである。
やはり史跡。
廃れ酒:晴海橋梁
三日坊主にはなるまいと思い、次の廃れた場所へ。
なるべく近場で済ませたかったので、今回は晴海橋梁を目指すこととした。
豊洲駅に到着すると、タワーマンションに住んでいそうな人たちがわらわらと自転車を漕いでいる。
いつ来てみても、綺麗なビルが立ち並び、随分とキラキラした街である。
住んでいる全員が自分に自信を持っていそうで、私は豊洲が少し苦手だ。
昔なら「こんなキラキラした街で何をしに来たんだろう」と思ったかもしれないが、小松川閘門での孤独を経験し、もはや昔の私ではない。
迷いはないのだ。
とぼとぼと晴海方面に歩いていくと、案内板があった。
この「鉄道橋」が、晴海橋棟梁である。
案内板に記載されているということは、安心して訪れることのできる廃れ物件である。
どうぞいらしてくださいと言うことだ。
ここでも小松川での経験が活きる。
そんなこんなで到着した。
晴海橋梁
国鉄越中島支線の越中島駅(現越中島貨物駅)から豊洲石炭埠頭までを東京都港湾局専用線(深川線)として開業していたが、深川線の深川線分岐点から分岐し晴海埠頭までを東京都港湾局専用線(晴海線)として建設した際、晴海運河に架かる橋梁として1957年(昭和32年)11月26日に完成し、同年12月17日に供用開始した。
トラック輸送への転換による臨港鉄道の衰退により、晴海線が1989年(平成元年)2月10日に廃止となり、東京都港湾局専用線が全廃となった。本橋梁も同時に供用廃止となったが、撤去されずに当時の姿のままの遺構として現存している。なお、本橋梁の今後は人道橋や公園としての活用が検討されているが、老朽化が進んでおり修繕も必要であるとして、具体的な動きは進んでいない。(Wikipediaより)
とのことである。
吸い込まれてしまいそうな線路である。
前回の小松川閘門もそうであったように、交通の発達により使われなくなり、打ち捨てられた遺物と言うのは、人間のために一生懸命働いていた感じが伝わってくるような気がする。
この鉄道橋は、人々や車が行き交う隣の春海橋を見て何を思うのだろうか。
そんなことを考えながら開栓した。
ただただ寒い。今日は昨日よりも風が冷たく、とにかく寒い。
ビールなのがまた寒い。
おつまみに買った肉まんを食べながら、さっさと飲んで撤収した。
鉄道橋と言うことで、飲んだのは
Premium Craft Beer 銀河鉄道999「メーテルのヴァイツェン」は、アニメ「銀河鉄道999」よりメーテルをイメージしたエレガントでリッチな味わい。
フローラルなアロマで口当たりが柔らかなビールです。
メーテルがヴァイツェングラスを傾けほほえみかけるイラストは東映アニメーションによる本商品のための描き下ろしです。(ヘリオス酒造ホームページより)
とのことである。
googleさんも観光名所と仰っている。
廃れ酒:旧小松川閘門
家の中で酒を飲むのも飽きてしまった。
どうしたものかと思って外のベンチで数回酒を飲んでみたものの味気ない。
そんな時に心霊スポットで酒を飲むドラマをやっていて、羨ましく思ったのである。
ああ、こういうことがしたい。
何かこれに近しいことはないかと考えたが、昔から廃墟の写真なんかを見るのが好きだったので「そうだ、廃墟で酒を飲もう」と思い至ったのである。
これ幸いとばかりに「都内 廃墟」で検索してみる。
旧小松川閘門
近所ではないか。
早速、以下をルールとして廃墟で酒を飲んでみることにした。
・人に迷惑をかけない。
・飲むのは一杯だけ。おつまみも一つまで。
・飲んだらさっさと帰る。
旧小松川閘門
旧小松川閘門は荒川と中川の両放水路開削により水位調整を図るため、昭和5年に完成しました。現在は水上交通の衰退により廃止され、小松川公園内に保存されています。
荒川ロックゲート(閘門)は荒川と旧中川の最大で3.1メートル異なる水位を調節するために平成17年に完成しました。震災時の支援活動を想定してつくられており、阪神淡路大震災クラスの地震があっても、速やかな航行が可能です。(江戸川区ホームページより)
とのことである。
公園の中にある。
到着してすぐに察した。
これは廃墟ではない。紛れもない史跡である。
家族づれでいっぱいではないか。
なんならここはバドミントンコートなのかと思ってしまうくらいシャトルが乱舞している。
こんなところで一人で酒を飲むなんて頭のおかしいやつと思われるだろうか、などと余計なことを考えていたが、せっかく来たし飲まねばもったいない。
飲酒とバドミントン、一体何が違うというのか。同じではないか。
ベンチに座って閘門を眺めながら何事もなかったように開栓する。
門の上に生えたすすきがいい味を出している。
閘門とは水位の異なる二つの水面を調節して船を通行させる特殊な水門のことらしい。
今ほど交通が発達しておらず、水上で物資の輸送を頻繁に行っていたその昔は重要な建造物だったに違いない。
アルコールが入ったせいか、子供たちの騒ぐ声もなんだか心地よく感じられる。
最近暖かくなってきたし気持ちがいい。
あっという間に一杯飲んでしまったので、さっさと帰ることにした。
廃墟というには賑やかで、大切にされていた。
「廃墟で酒を飲む」というのとは少し違ったかもしれないが、廃れた建造物であることには違いない。名付けるならば、廃れ酒と言ったところか。
今後も機会と元気がある時にやってみようと思う。
飲んだのは
COEDO 瑠璃
クリアな黄金色と白く柔らかな泡のコントラスト、さわやかな飲み口が特徴のプレミアムピルスナービール。軽やかな口当たりながらも、深みある味わいとホップの香味苦味のバランスをとった上質の大人の楽しみ。飽きがこず、どんなお食事にも合うビールです。その透明感溢れる特徴にちなんで「瑠璃 -Ruri-」と名付けられました。(ホームページより)
とのことである。
googleさんも史跡と仰っている。